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■市民プロデューサー通信....................................vol.28
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2001.9.23発行 第28号
======== NPO世紀のチェンジリーダー《市民プロデューサー》通信==========
■市民プロデューサーとは?
「地球市民として地域に根ざし、アイデアとユーモアとネットワークを武器に、
様々な分野の人たちと協働しながら、企業や行政には出来ない社会的イノベー
ションを、経済性をも無視せずに創り出せる人」のことです。
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★このメールマガジンは、社会福祉法人大阪ボランティア協会が主催する「市
民プロデューサー養成講座」運営チームのメンバー有志によって発行されてい
ます。
━━━━━━━━━━━━━━━ も く じ ━━━━━━━━━━━
■特集■ ボランティア国際年記念フォーラム(前半)
市民としてのスタイル夏の陣「企業と市民の融合マジック」
シンポジウム
「協働の可能性〜企業と市民の融合マジック」
福原 義春氏(株式会社資生堂 名誉会長)
田代 正美氏(財団法人経済広報センター 総務部兼国際広報部長)
中村 順子氏(特定非営利活動法人
コミュニティサポートセンター神戸 理事長)
進行:早瀬 昇(社会福祉法人 大阪ボランティア協会 事務局長)
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8月26日、大阪ボランティア協会では、ボランティア国際年記念フォーラ
ム「市民としてのスタイル」夏の陣として、企業と市民の融合マジックをテー
マにフォーラムを開催しました。
フォーラム後半のプログラム、シンポジウム「協働の可能性〜企業と市民の
融合マジック」の内容を、2回にわけてお届けします。前半の基調講演(福原
義春氏 「社会が変わる、企業が変わる 新しい市民社会の到来に向けて」)
の内容は、情報誌月刊ボランティア11月号に掲載されます。月刊ボランティ
アについては下記アドレスにお問い合わせください。
○問合せ・申込先○
社会福祉法人 大阪ボランティア協会
(月刊ボランティア編集部 担当:岡村)
〒530 大阪市北区同心1-5-27 市立社会福祉研修センター内
Tel 06-6357-5741 Fax 06-6358-2892
E-mail:k.okmr@jasmine.ocn.ne.jp
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URL:http://cw1.zaq.ne.jp/osakavol/getuvol/mvi368.html
【早瀬】 どのような組織にとってもリーダーの役割は重要ですが、とくに企
業の場合は、給料を払っているわけで、人の人生全体を大きく左右する力を持
っています。そのリーダーであった福原さんが、さきほどの基調講演で「社会
と企業の関係は、大地と木の関係なんだ」と話しておられた。こんな企業がた
くさんあれば、日本の社会ももっとよくなるだろうと思いますが、他にもたく
さんキーワードをいただいたと思います。
まず、経済広報センターの田代正美さんにお伺いします。田代さんは以前経
済団体連合会におられて、経団連の社会貢献部をつくりあげられた方ですが、
当時をふりかえっていかがですか。
【田代】 こんにちは。正直申し上げて、経済界のリーダーの方が、「市民社
会」という言葉を語っておられるのを聞いたのは、今日が初めてです。私にと
っても記念すべき日となりました。経団連は1994年から公式文書では市民社会
という言葉を堂々と使っております。使い始めたのは私なんですが。当時は豊
田章一郎さんが会長でしたが、その言葉を使うなと止められたりしたことは一
度もありませんでした。しかし、経済界のリーダーたちが、ご自分では市民社
会をどうとらえているのか、市民という言葉にどういうイメージを持っておら
れるのかをお聞きしたことは、これまでありませんでした。
さて、私は91年に社会貢献部を立ち上げるから集まれと、召集された中の一
人でした。私どもの会員企業さんが、社会貢献室や企業文化部などを続々と作
っておられた頃で、経団連もそれに遅れないようにと、社会貢献活動をどのよ
うにしていくのか議論を進めようということでした。
●「会社を変えるか、社会を変えるか」のタイトルに糾弾の嵐!
そのとき、よくあることですが、具体的な指示はありません。アメリカ型で
すと目標・使命はこれだ。社会貢献部をつくって、何年までにどういう目標ま
で行けということトップダウンなんでしょうが、「あとは、よきにはからえ」
と言われたわけです。私はそれを喜ぶ質でした。指示がなくて喜ぶ人と、もが
く人がいますが、私は喜ぶ方でした。
当時、45社が社会貢献室を持っていました。今は250社くらいになって
います。集まっていただいて議論を始めようとしたのですが、沈黙が支配して
いた。6カ月くらいは、毎月集まっているのにほとんど議論にならない。はっ
きり言って、皆さん当惑しておられたんですね。会社に入って営業成績を上げ
る、いい製品をつくるつもりでいたのが、社会貢献をやれと言われて、真っ先
に思ったのは、「自分は窓際に行ったんだろうな」ということでした。また、
45社の中でも明確な指示を受けた方は皆無でした。そういう中で、どんなこ
とをやっていきましょうと問いかけても、まったく返事がないという会議が続
きました。
これではいけないというので、数ヶ月後に御殿場のゲストハウスで合宿を企
画しました。そこで、まったくフリーにこれからの社会活動を議論したのです。
その時私がつけたタイトルが、「企業の社会貢献、会社を変えるか、社会を変
えるか」でした。3万円かけて看板をつけたんです。私も会議屋ですから、こ
れまでたくさんの会議を組織してきましたが、その時の看板ほど皆さんから指
を指されて指弾されたのは初めてで、その後も1度もありません。「これは何
だ! こんなことを考えて経団連は社会貢献活動を方向付けようとしているの
か? まるで革命ではないか」という激しい批判。それから、「会社を変える
かはまだわかる。しかし、社会を変えるかなんていうと、また企業のおごりと
誤解される。一体何を考えているのか」という意見もありました。合宿でした
から、一日半にわたって責め続けられました。当時の私の上司がたまりかねて、
「うちの若い者が跳ね上がりまして…」と言ったものですが、それが10年前の
ことです。
ところがその後、東京で会議を開いたときのこと。もう出席してもらえない
のではないかと心配していたのですが、前より出席者が増えたのです。突然皆
さんしゃべり始めました。日本の企業人はこんなに我慢強いのかと思いました
が、それまで何度会議をやってもじっと我慢をしていた。ほんとはみんな考え
ているけど言わないだけだったんです。そこに私が突飛なタイトルをぶつけた
途端に、「御殿場では批判したが、実は自分もそう思うんだ」と、口を開き始
めた。結局「担当者である自分がどんな社会に生きていきたいか」を基本に据
えて社会貢献活動を汲み上げていけばいいのではないかということでまとまっ
ていったのです。
まさに、そこが始まりで、私には印象深いものでした。そこから、自分はど
んな社会に生きていきたいかということなら、NPOを知る、NPOと協働で
何かをやっていくことを考えましょうということで、つながりができていった
と思います。初めはたいへんでしたが、「みんなで渡れば怖くない」的な発想
で進めていきました。その後、NPOの方々とおつきあいが始まり、4年後の
阪神淡路大震災の時に、大阪ボランティア協会の早瀬さんらと「被災地を応援
する市民の会」を立ち上げていけるところまでになっていたのです。
【早瀬】 震災の際に、大阪ボランティア協会をはじめとするいくつかのNP
Oと経団連1%クラブが協働して被災地で活動しました。震災時には企業の方
も大勢ボランティア活動に参加しましたが、その背景には4年間の間に企業の
中でボランティア活動への認知が進んだことがあると思います。
それまで、会社に勤めながらボランティア活動をしている人は、たとえば
「大阪ボランティア協会」に電話をすることを隠さないといけませんでした。
顧客からの電話のようにごまかすわけです。さもないと、「おまえ、ボランテ
ィアなんかしてんのか!」ということになって、まるで隠れキリシタンのよう
な思いをしておられた。それが田代さんらの努力があった中で、震災のときに
たくさんの方が活動に参加できたのですね。
●NPO界の上沼恵美子!?
【中村】 皆さんこんにちは。今日は福原さんの講演を楽しみに出かけてまい
りました。福原さんの著書を読んで、上から下まで資生堂で固めてまいりまし
た。というのはウソで、メイキャップは安物のちふれです(笑)。私のことを、
NPO界の上沼恵美子と呼ぶ人がいますが、福原さんのような教養もあり、品
のいい方が社長をしておられて、よく資生堂は利益をあげてきたなと思って聞
いていました。NPOと変わらない理念や社会観、経営哲学を持ってやってこ
られた福原さんにお会いできて、今日はとてもうれしいです。
今日のお話の中には出てきませんでしたが、福原さんは「無私の境で経営に
あたることが最大の利益につながる」とおっしゃっています。NPOの活動に
も通じるものがあると思います。
さて、CS神戸の活動をご紹介します。
私たちの事業は支援事業と直轄事業の二本立てで、支援事業として、今まで
25のグループの支援をしてきました。
支援事業の団体には3つのタイプがあります。1つは、高齢者の方に給食を
配る活動や、学童保育などの日常支援型。先日がんの治療で毛髪が抜け落ちた
女性の方からのご相談がありました。免許証の書き換えに帽子をかぶって行っ
たら、帽子を取ってくれと言われて、その屈辱が耐え難くて帰って来たとおっ
しゃる。その人のための特殊なカツラをつくりました。介護保険を使っていな
い自立が可能な高齢者の支援などのグループもあります。
それから、生活のクオリティを高めていこうというグループです。リハビリ
でも音楽や演劇を用いたものや、リラックス体操、シルバー体操、バリアフリ
ーマップ、パソコンの指導など、生活をより豊かに質を高めていく活動です。
また、文化芸術の活動もあります。町中でオペラをやりたいという人たちも
います。
支援してきた団体はこのように、生活から文化まで幅広い内容があります。
一方,直轄事業でもっとも多いのは行政からの委託事業です。被災地では、
行政では細やかな動きができないために、NPOに事業を委託するケースが増
えています。私たちは、かなり早い段階から委託を受けてきましたが、今では
兵庫県からの委託の仕事開発事業をはじめ、調査、市民向け研修や行政職員研
修など、年間約6000万円、5,6本の委託事業を行っています。最近増え
てきたのは、施設の管理です。施設の管理はこれまで、行政が外郭団体をつく
ってやってきましたが、単に施設を開いて申込みを受け付けるような管理業務
だけでなく、地域のためにどう活用していくのかという視点を盛り込むという
意味で、私たちが2つの施設を管理しています。他にもNPOの仕事紹介所を
開くなど、行政がやるより、地域に詳しい、地域に密着したNPOの強みを活
かした事業を、直轄事業として行っています。
震災ボランティア活動として補完的なお手伝いから、地域の問題を自ら積極
的に解決していくステージに、否応なく放り出された結果、多くの方々との協
働が生まれてきます。その一つが今日のテーマである企業であり、あるいは行
政であるのだと思います。
●機会の提供、質のいいサービス、行政・企業との連携
こうしたことを5年くらいやってきたのですが、いつくかの効果が出てきま
した。1つは、自分が活かされる働きが地域の中に見えてきたことです。たと
えば、20人ほどの地域の給配食グループがありますが、平均年齢68歳、最高齢
は80歳です。彼らが毎日毎日、30食〜50食を用意しています。自分が健康であ
れば働ける。そういう場が身近にできたことはたいへん大きな意味があると思
います。高齢者だけでなく、精神的な障害や身体的なハンディを持った方、当
然、リタイヤした方についてもそういう機会を提供しています。
企業を退職されて、NPOに雇用を求めてこられる事例はかなり増えていま
す。必死で仕事をとってきて、機会の提供に努めています。
2つめは、利用者サイドにたったサービスが提供できるようになったことで
す。たとえばデイサービスなど、行政のサービスは画一的ですが、私たちは、
利用者を「お客さん扱い」せず、来た人に、それぞれの人ができることを提案
して、食事の盛りつけや片づけを手伝ってもらったりもします。それが新しい
顧客をどんどん拡大しています。
3つめは、行政の広域事業市場に、構造変革を来しつつあることです。蟻の
一穴程度ではありますが。NPOは利益の個人分配を禁止しています。情報公
開もしなくてはいけない。これまで行政の外郭団体がいちばん嫌っていたこと
を、私たちは法的にしなくてはいけないことになっている。CS神戸も決算を
インターネットで公開しています。このように、今まで公共事業を行っていた
事業体と、まったく違うやり方で公益事業を行っているわけです。これはひじ
ょうにシビアな影響を及ぼし始めているのではないかと思います。
4つめは、企業がNPOに着目してきたことです。私たちは手当たり次第に
事業をやっているのではありません。明快な地域ビジョンをもっています。
「くるくるプロジェクト」と名づけていますが、循環可能な地域社会をつくり
たいという願いを持っています。この中で今年度いちばん力を入れているのが
市民発電です。太陽光発電の電力で走らせた車で、移送事業をする計画を手が
けようとしています。まだスタートはしていませんが、すでに100回くらい、
地域で会議を重ねています。そこが注目されているのです。地域のほんとうの
ニーズを吸い上げる力を、NPOが持っている。そのニーズは人々のためにな
るし、ほんとうに必要な社会サービスが生まれます。ここには、自動車会社や、
太陽パネルを提供してくださる会社など、大きな企業から小さな企業まで接触
があります。企業の方がNPOの地域密着性、開発性に着目されて、NPOに
投資をしようという動きさえ見られるようになってきました。
もちろん、課題もたくさんあります。一番大きな問題は、人の問題。リーダ
ーシップをとれる人がなかなかいない。企業から地域に返って来る人は、責任
がとれない人が多いんです。「企業の責任」「行政の責任」という文化に慣れ
た人は、自己責任の発想がない。人材、リーダーシップをどう醸成するかは、
大きな課題です。
●企業市民活動推進センター設置。ついにボラ協も焼きがまわったか…!
【早瀬】 中村さんのお話には「とにかく、ぎょうさん(=たくさん)話しと
け」というNPOの文化とパワーを感じますね。
今日はいくつかのキーワードが出ています。
NPOと企業の協働というときに、いわゆる社会貢献型の協働に加えて、新
しい事業をベンチャーとして起こしていく。また企業人が地域人として活動し
ていくケースなどいろいろあります。
大阪ボランティア協会は、個人であるボランティアに対するセンターと、N
POに対するセンターに加えて、企業市民活動推進センターというセンターを
持っています。1991年、経団連社会貢献部に1年遅れて発足しました。
トヨタ自動車の豊田英二名誉会長夫人で豊田寿子さんが日本代表をなさって
いる、IAVEというボランティア活動推進国際協議会というボランティア活
動推進機関の国際ネットワークがあるのですが、マルタ合意があって冷戦が終
わった1988年に、この団体が開催する国際会議がワシントンで行われ、私も参
加しました。この時、National council on corporate volunteerism という組
織に出会いました。全米企業ボランティア協議会とでも訳すのでしょうか。僕
がおもしろいと思ったのは、その団体のパンフレットです。
“If you want competitive edge” もしも、企業間競争に勝ちたかったら、
トップに立ちたいのなら、社員のボランティアを支援しなさいというものだっ
たのです。いかにもアメリカ的だと思いました。理念でもキリスト教精神でも
ない。競争に勝ちたいなら、ボランティアを支援しなさいという功利的な発想
でした。そのときのアイディアをもとに、日本でも同じようなことを始めたい
と考えたのが、企業市民活動推進センターです。
かつては企業人が会社で市民やボランティアということを語るのは難しかっ
たのです。未だに、広辞苑で市民という言葉を引くと、そこに載っている用
例は「市民運動」なんです。「運動」はあっても「市民活動」は載っていませ
ん。運動というと批判される、告発される、糾弾されると思うのが以前のイメ
ージで、そんなところを支援するなんて何事か、ということでした。ところが、
アメリカではそうすることが会社の利益になると言っている。企業の社会貢献
をされるときの窓口となり、同時にNPOの皆さんが活動の場で企業と協働す
るためのコーディネーター役になろうと考えていました。
しかし、当時は、「ついにボラ協も焼きがまわったか。企業に尻尾振って…」
という見られ方でした。
一方企業からの最初の相談は、障害者の雇用をしたいけれど、どうしようと
ものでした。ふつうそういった相談なら職安に行くのでですが、職安は監督官
庁なんですね。下手な相談をすると、やばいことになるわけです。それで大阪
ボランティア協会のように、中間組織なら相談しやすかったようです。
もうひとつ特徴的なことは、「我が社は、決して会社の利益を考えて何かし
ようというのではありません! だから、相談に乗ってほしい」というように、
NPOや市民活動の世界は、禁欲的で、清く、正しく、美しくて、儲けるとい
うことなど絶対持ちこんではいけないと考えておられる人が多かったことです。
ちょっとでもそういう気配を見せたら嫌われると思ってはったんですね。逆に
僕の方から、「企業が儲けなかったら背任じゃないんですか」とお話ししたく
らいなんですが、そういうふうに、言葉が通じない時代がありました。田代さ
んも同じような経験をなさったのかもしれません。
田代さんにお伺いしますが、企業と市民活動団体がお互いに構えていたのが、
どのようにしてパートナーシップの土俵をつくっていったのでしょうか。
●NPOが怖い理由
【田代】 一言で言えば時代の流れに乗っていったと思います。今も印象深く
思い出すのは、さっき申し上げたような経緯で、各社の担当者が「自分自身が
どんな社会で生きたいか」ということで社会貢献プログラムをつくっていけば
いいんだと納得したんです。しかし、具体的にどうしていいのかわからない。
私はその時、「NPOじゃないですかね」と言ったのですが、根拠があった
わけではないんです。社会、コミュニティだと思ったのです。そのためにはN
POとつながっていく必要があるのじゃないかと思いました。それで、30ほど
のNPOを訪問してみました。30もまわると、鑑識眼がつくというのか、「ん!
ここはおもしろい」「ここは役所のダミーのようなとこだな」というのが入
った瞬間わかるようになります。会社の役員の応接室に訪ねてきていただいて、
寄付のご相談を受けていても、これは絶対にわからない。百聞は一見に如かず
で、行ってドアを開けて、30分もいればだいたいわかるんです。それではわか
らない奥深いものもあるのだと思いますが、その時の自分の見立てで外れたも
のはない。そこで、企業の担当者に、一緒にNPOに行ってみましょうよとお
誘いしたんです。
そうすると突然、企業人に戻ってしまうんですね。「とにかく、怖い」って
言う(笑)。「議論をふっかけられるかもしれない」「寄付しないと帰って来
れないかもしれない」と思ってたんです。「そんなことないですよ、お互い常
識人として話せますよ」と言ってもだめでした。結局、経団連でツアーを組ん
で、その傘の下で訪問したいということになった。今、この話を飲みながらす
るとみんな大笑いしていますが。
代々木の日本青年奉仕協会、早稲田のシャプラニールなどを訪問しましたら、
「これは大丈夫らしい」と、みんな安心したんですね。ここで企業人は、さっ
と競争に入る。こっそりと「我が社とだけ組んでほしい…」という動きが出ま
した。私にも誰にも言わないで、「田代さん、明日新聞発表するから、それま
でナイショですよ」なんて話もありました。日本青年奉仕協会と組んで、全国
の支店の端末でボランティア情報の提供をする。誰にも言わないでくださいね、
という話でした。失敗するなと思いました。「ボランティア情報は、身近でな
いと、明日博多で祭りのボランティアを募集といっても、そのために博多まで
行く人はいないんで、それは持ちませんね」と言ったものですが、ほんとにだ
めでした。
そんなふうに、NPO側の方には警戒心はなかったように思います。NPO
の方に、おまえ何をきれい事を言ってんだとつるし上げられたこともありまし
たが、そのときすでに、企業とNPOが一緒に何かをやれる相手だという認識
はあった。ただ、一歩を踏み出してなかっただけだと思います。
(以下、次号に続く)
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| 【編集部より】 |
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